実はずっと自問自答している根深なテーマで、自己矛盾を起こしていると誤解を招きかねない危険も犯して、あえて話題提供をしてみます。
農薬は誰のため?
勿論、本来は生産者・消費者のために開発されたものである筈です。農薬や化学肥料は、作業負荷や作業時間を減らし、害虫被害に遭うことなく、収量を増やすことを目的にしています。市場には、見た目に美しく丸々と太った作物が安価に安定供給されます。
有機市場は1%以下という実態が示すこと
生産者、流通・販売業者、消費者が全体として99%の支持率で慣行栽培品を選択した結果が、市場の実態です。支持してくれる消費者がいるから、流通・販売業者が扱い、生産者が農薬を使うという自然で単純な理解です。日本は農薬使用大国で、有機市場は大きな伸びを見ませんが、私たちが全体として出している選択結果です。
有機市場を支える生産・流通・消費者の価値観
私たちの健康な体を支える「食」について、安心・安全で美味しい、良質な食品を選びたいと考える意識者層に支えられているかと思います。私自身、圧倒的に美味しい自然栽培の野菜を頂いてまさに目から鱗の経験をしたこともありますし、腐敗せずに枯れる野菜には高い抗酸化力として品質の高さが現れたりもします。また、健全な水・土を守る環境保全型農業としての支持も根強いです。
安心・安全観点で見たとき、本当の所はどうなの?
先に結論を書くと、白黒つけられる答えはなく、生産者がどんな栽培方法を選ぶか、消費者が何を買うかという個人判断・選択に委ねられるものだと思っています。 農薬は基本的に毒薬で、誤飲による死亡事故に見られるようなすぐさま人を死に至らしめるような劇薬もあります。農家はマスクなどの保護具を着用し、食品は希釈率・散布回数・散布時期の適正管理で、安全の確保が規定されています。一つの農薬の開発開始から認可を得るまでに、数年・数億円かかると言われますが、大変な安全性検証作業が積み重ねられているそうです。荒っぽい表現ですが、私は「毒だけどごく微量だからただちに健康影響なし」という理屈だと理解をしています。一方で有吉佐和子さんが著書「複合汚染」で指摘された、二つ以上の毒性物質の相加作用および相乗作用の危険性に対して、安全を担保・保証することは事実上不可能です。 十把一絡げに、安全/危険を判断できるほど簡単ではなく、日々個別の品目ごとに厳選なチェックができるほど暇な方はいません。
私自身はどう考えているか?
この仕事を始める前は「慣行栽培品と有機のどちらか一方を選ぶとすれば、そりゃ無農薬の方がいいだろう」ぐらいに思っていました。 自分が有機生産者の立場になって、今は、生産・流通・消費の3者が距離を詰めて、双方向のコミュニケーションができる状態を作りたいと思っています。消費者は生産者の思いや苦労・努力などを知ることでより的確な購買判断ができるようになり、何より選んだ商品に一層の愛着が沸くと思います。生産者は消費者の要望や感想を生で感じることで、品質向上やコストダウンなどニーズに応える努力意欲が高まり、何より生産の喜びがもっとリアルに感じられると思います。 究極はローカルコミュニティで生産者と消費者が直接繋がる地産地消をイメージしますが、そこまで飛躍しなくても、消費者は現場を見よう・知ろうとするアプローチを、生産者は現場を伝える努力をすれば、もっと近づけます。 技術の進歩は勿論、歓迎されるべきものだと思っています。ただ、安全性や環境負荷などの倫理的な観点を常に持つこと、立ち止まって検討・判断できることが肝要だと思います。すべてのステークホルダーが、それぞれの立場で考えて声を上げ、互いの距離を近づける努力をしたい。
面倒くさいからといって考えるのを止めて単純化した図式に逃げ込まない、誰か一点に責任を押し付けて思考停止にならないようにしたい、と思います。有機生産者の端くれである私の場合、農薬メーカーや慣行農家さんと深く話をしてみる中から、必ずまた新しい発見がある筈で、自分とは異なる立場を取る方を敵視するようなことはありません。 宮古島プロジェクトは、一方的な思い込みや押し付けではなく、生産者、加工業者、流通、商品を購入されるお客様、みんなで創るプロジェクトでありたいという気持ちです。何を選ぶか? 消費者が市場を決定する投票権をもっています。今すぐに万全の答えはありませんが、100年後に存在価値を再認識してもらえるような事業活動でありたいと思っています。